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さて、前述の、そのブロガーさんが幼い頃のシーン。 ご自分で覚えておられるので、1歳やそこらではないはずだ。 わたしも、祖父のお葬式の1コマをはっきりと鮮明に覚えている。 命日から計算すると、当時のわたしは3歳6ヶ月である。 現在、上の孫は3歳1ヶ月だが、似たような年齢だ岩鹽。 祖父が亡くなる以前の様子もしっかり覚えている。 亡くなる直前などではなく、もっとゆるやかな時間が流れている頃だったと思う。 話したり、受け答えや、やりとりした記憶がある。 よく、祖父の臥している部屋に行って、お菓子をもらっていた。 祖父は、わたしが行くと、新しくお菓子の袋の封を切ってくれた。 ということは、現在の上孫の年齢の頃には、 わたしという人物は、もうすでに彼の記憶の箱に仕舞われているということだ網路行銷。 幼い頃の田舎での風景、光景、今も目に浮かぶ。 蝶ブログにも何度も書いている。懐古趣味か。 何度か、大改造はされているが、ベースは同じ。 現在もなお、全く同じところに、同じものが、同じようにあるので、とても不思議なような、 過去?現在?未来をタイムライン号の船に乗って見るかのごとく。 この陰に隠れて、かくれんぼをよくした。 あんな小さな隙間によく身を隠せるなあと、いつも不思議な気持ちで見ている。 当時のわたしは、猫だったのか? 祖母が日常に使っていたお針箱。 その近くに、わたしの幼稚園時代の道具箱が置かれている。 旧姓フルネームで、わたしの名前が書かれているが、去年、発見して、よくまあ、あんなもの、まだ置いているなあと、びっくりした。 目をぱちくりと瞬きする瞬間に、ひとっとび半世紀前の時代にタイムスリップ。 ふたつ瞬きすると、百年前。 セピア色の残像が、NHK番組のファミリーヒストリーのようだ。 今も、私が子供の頃と同じ場所に、ツバメが巣を作っている。 ???と、延々、残像シリーズは、きりがない。 話を戻そう。 そのお邪魔したブログには、クラシックの名曲が流れている。 いいなあ???。こころが洗われるようだ。 現在、抱えているわたしの悩みの解決の糸口にならないかと、記事タイトルをあちこちクリックして、 過去の偉人たちの名言を読んでみる。 現世の生煮えなわたしには、まだ、ちょっとすんなり取り入れるには、ハードルが高い。 煩悩がイキイキ。もやもやを通り越して、現役で暴れている。 あと十年は経たないと、しっかり枯れて、いい味が出ないような気がする。 じっくり寝かせて「熟成」などというと聞こえはいいが、 悟りなど、一生、開けないだろう。生きている限り。